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記憶の彼方に葬り去られようとしている物。。 あなたにもありませんか。。?
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生産 谷岡牧場
誕生日 1991年5月8日
馬主 さくらコマース
調教師 境 勝太郎→小島 太(美浦)
Rainbow Quest
ローラローラ
性別 牡馬
毛色 栃栗毛
通算成績 22戦9勝(内重賞5勝)2着5回


サクラローレルは海外で受胎している肌馬を輸入し
国内で出産した持ち込み馬である。

体質に脆い面があり、デビューは4歳になってから。

4歳1月の中山で行われた新馬戦(芝1600m)でデビュー。
単勝1.8倍の圧倒的1番人気になるも見せ場も無く9着に終わる。

折り返しの新馬戦(芝1600m)に出走するも
見せ場は作るが3着に終わり、
初勝利をあげたのは3戦目の
1月の東京で行われた未勝利戦(ダート1400m)であった。

その後クラシックを目指し色々なレースに出走するが
掲示板には載るものの勝ちきる所まで行かない。

3月にようやく2勝目をあげ、
4月に東京で行われたダービートライアルレース
GⅢ青葉賞(芝2400m)に出走する。

3番人気に支持されたローレルは3着に入り
ダービーの出走権を得る事に成功する。


後に脚部に不安を発症しダービーを回避。
秋まで休養に入る事になる。


復帰戦は9月に新潟で行われた4歳上900万下特別
佐渡ステークス(芝2000m)
2番人気に支持されるも、
勝ったダイゴウソウルから4馬身離された3着に終わる。

その後菊花賞を目指し中山で行われた菊花賞トライアルレース
GⅡセントライト記念(芝2200m)に出走するも8着と大敗。
結局クラシックレースには出走できず、
ナリタブライアンが三冠を達成する。


その後900万下特別を2戦連続で2着になり、
3戦目の京都で行われた900万下特別
比良山特別(芝2200m)で勝利し3勝目を挙げる。


12月に中山で行われた1500万下特別
冬至ステークス(芝2500m)も勝利しオープン入りを果す。


年が明けて5歳。
ローレルは1月に中山で行われた
GⅢ金杯・東(芝200mm)に出走する。

2番人気に支持されたローレルは道中中段より後方に待機。
3コーナーでまくりに入ると直線強く抜け出し
2着のゴールデンアイに2馬身1/2の差をつけ快勝。
重賞初制覇を飾る。
(後にこのレースは
金杯なだけにさくら銀行にが入って万馬券
と呼ばれた)


続く2月に東京で行われた
GⅡ目黒記念(芝2500m)に出走。
連勝していた為に単勝1.5倍の圧倒的1番人気になるも
直線でハギノリアルキングにさされ2着に終わる。


その後天皇賞・春を目指し調教をつんでいたローレルであるが
レース直前の調教で両前脚を骨折してしまう。

予後不良でもおかしくない重症であったが
陣営は再起にかけ、安楽死をさせずに長期休養に入れる。



ローレルが休養に入っている時に
ローレルの手綱をとっていた小島太が引退し調教師になった為
横山(典)に乗り変わる。


ローレルが競馬場に帰ってきたのはそれから1年後。
6歳になった3月の中山で行われた
GⅡ中山記念(芝1800m)

骨折長期休養明けと言う事もあり
9番人気と評価を落とすが
メンバー最速の上がりタイムで一気の差しきり。
実力の違いを見せ付ける。


そしていよいよ初のGⅠ。
4月に京都で行われた天皇賞・春(芝3200m)に出走する。
このレースは三冠馬ナリタブライアンと
前年の年度代表馬マヤノトップガンの一騎討ちと言われたレースで
ローレルは3番人気ながら単勝が14.5倍と相手にされていなかった。

レースはトップガンが先行。
ブライアンが中段に位置取り、それをマークする形でローレルが追走。
3コーナーで一気のまくりに入ったブライアンが
トップガンと並んで直線に入る。

このまま2頭で決まるかと思いきやトップガンが失速。
直線で豪脚を披露したローレルが
2着のブライアンに2馬身1/2の差をつけ快勝。
GⅠ初挑戦で初制覇を遂げる。



その後ローレルは秋まで休養。

休養明け初戦に9月に中山で行われた
GⅡ産経賞オールカマー(芝2200m)に出走。
再びトップガンと対戦し、ここでも先着し勝利する。


その後10月に東京で行われた
GⅠ天皇賞・秋(芝2000m)に出走し春秋連覇を狙う。

1番人気に支持されたローレルは
東京芝2000mでは一番不利な大外16番枠を引いてしまい
スタートでうまく前に出す事ができずに後方待機を余儀なくされる。

直線に入り
先行していたバブルガムフェーローとトップガンの一騎討ち。
ローレルは前に出るのに前が壁になったり
大外に出すのに手間取り、差を詰めるものの3着に終わってしまう。


その後ジャパンカップを回避し12月に中山で行われた
GⅠ有馬記念(芝2500m)に出走。

前走の教訓を踏まえ、先行策に出たローレルは
完璧と言えるレースを披露し
2着のマーベラスサンデーに2馬身1/2の差をつけて勝利。

この年の年度代表馬に選ばれた。


年が明けて7歳。
管理していた境勝太郎が定年により引退。
ローレルの手綱をとっていた小島が管理をする事になる。

そして陣営は海外最高峰レース凱旋門賞に挑戦する事を表明する。


凱旋門賞前の叩きレースとして4月に京都で行われた
GⅠ天皇賞・春(芝3200m)に出走。

1番人気に支持されたローレルは道中中段に待機。
3コーナーでまくりに入り直線で先頭にたつも
トップガンの末脚に屈し2着に終わる。



そしていよいよ凱旋門賞の為にフランスに渡る。

前哨戦としてフランスのGⅢフォワ賞(芝2400m)に出走。
当初は現地騎手に乗ってもらうはずだったが
レース直前に予定していた騎手が引退。
急遽武豊が手綱をとることになる。

海外でも1番人気になったローレルであったが
レース中に故障を発症しビリで終わる。


レース後の診断により右前脚屈腱不全断裂と診断され
予後不良の手続きを勧められる。

ローレル2度目の予後不良診断であったが
陣営は再度ローレルの生命力に賭け日本に帰国させる。


日本に戻ったローレルはその後順調に回復をしたものの
競争能力を損失しており引退。
種牡馬となる。



種牡馬となったローレルだが
シンコウルビーローマンエンパイアなどの重賞勝ち馬は出すが
GⅠ馬を誕生させる事が出来ずにいる。





この馬は晩成と言う言葉がピッタリくる馬で
年齢が増す毎に強くなる印象がありました。
そして良く稼がせてもらった馬でもあり、
更にその時のレース当日の印象が強く残っている馬でもあります。

天皇賞を勝った時は同僚の結婚式だったり、
1度は生で見ようと中山記念の日に中山まで行ったりもしました。
そして45倍の馬連をサクッと当てて帰ろうとしたら
渋滞で車が出られず駐車場に1時間閉じ込められた。。
と言うのもいい思い出になっております。。
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無題
サクラ=太ってーのがあったから
ローレルはほとんど買ってないなぁ。。
バクシンオーまでだな。。(≧∇≦)

トップガン=田原ってーのも懐ぃ。。
何やってんだろ?あのヒト。。(笑)

ホセ・マゲンタ 2008/11/05(Wed)23:02:07 編集
ホセ・マゲンタさん こんにちゎ♪
太も境さんとよくやりあって問題になってたなぁ。。
まぁ田原ほどの問題ではないがw
田原はどーすればナイフを飛行機に持ち込めるか考えてるんでね?w
天才肌の考える事はよぉ解らん。。
【2008/11/06 08:57】
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