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生産

藤正牧場

誕生日

1973年4月15日

馬主

トウショウ産業

調教師

保田 隆芳(栗東)

テスコボーイ

ソシアルバターフライ

性別

牡馬

毛色

鹿毛

通算成績

15戦10勝(内重賞6勝)2着3回



トウショウボーイはデビューが遅く、
4歳になった1月末の東京で行われた新馬戦(芝1400m)

今現在では年明けデビュー→クラシックは良くあるローテンションなのだが
当時は余程強い馬でなければクラシックに間に合わない。
と言われていたローテーションでのデビューである。

レースは逃げに出たトウショウボーイは後続に影さえ踏ませず、
ブッチギリで逃げきる。

つづく東京で行われた4歳300万下の特別レース
つくし賞(ダート1400m)

その後の中山で行われた4歳600万下の特別レース
れんげ賞(芝1800m)

を立て続けで勝ち、3連勝で皐月賞に駒を進める。

実はこのれんげ賞が行われたのが3月20日。
皐月賞までの間隔が非常に短いローテーションになってしまったのだ。
疲れが抜けないままで挑むはずだったのだが
トウショウボーイには勝利の女神がついていた。

厩務員ストによる皐月賞の延期が決定するのである。

これで態勢を立て直したトウショウボーイは
代替で東京で行われたGⅠ皐月賞(芝2000m)に出走する。

西の怪物テンポイントに1番人気を譲るも
実力はこちらが上と言わんばかりに
テンポイントに5馬身の差をつけて圧勝する。

飛びが大きく、まるで空を飛んでるように見える事から
トウショウボーイは天馬と呼ばれるようになる。


そして4連勝で挑んだ東京で行われたGⅠ
日本ダービー(芝2400m)に出走する。

1番人気に支持されたトウショウボーイであるが、
目に見えない疲れがあったのか、
逃げて直線で先頭に立つのだがクライムカイザーにあっさり差されてしまう。
ゴール板前で差し返すも届かず、初めて2着に負けてしまう。


その後夏を全休せずに、トウショウボーイは
7月の札幌で行われたGⅢ札幌記念(ダート2000m)に出走する。

初めての古馬との戦い。
更にダービー馬クライムカイザーも出走したこのレース。
しかしファンはトウショウボーイを1番人気に支持した。

しかしレースはトウショウボーイまさかの出遅れ。
直線で追い込むも古馬最強ダート馬グレートセイカンだけはかわせず
2着に終わってしまう。

ダービー・札幌記念と立て続けにミスを犯した主戦ジョッキー
池上昌弘はここでトウショウボーイを降ろされる事になる。


秋初戦にトウショウボーイは菊花賞トライアルレース
阪神で行われたGⅡ神戸新聞杯(芝2000m)に出走する。
騎手は福永洋一(福永祐一の父)に乗り代わる。

ここでまたダービー馬クライムカイザーと対戦するも、
既にカイザーは敵ではなく、レコードで圧勝する。

そして続く阪神で行われたGⅡ京都新聞杯(芝2000m)も
クライムカイザー相手に勝利を収める。


そしていざ京都で行われたGⅠ菊花賞(芝3000m)に出走する。

1番人気に支持されたトウショウボーイだったが、
距離が長かったのか疲れが残っていたのか
グリーングラスとテンポイントのトップ争いを見るだけの3着に終わる。


そして年末の中山で行われたGⅠ有馬記念(芝2500m)に出走する。
鞍上を武邦彦(武豊の父)に代え、1番人気に支持される。

レースはテンポイントとの激しい先行争いで始まり、
最後の直線でもテンポイントに競り勝ちGⅠ2勝目をあげる。


その後トウショウボーイは脚部不安を発症し、約半年の休養に入る。


復帰戦は5歳の6月に阪神で行われたGⅠ
宝塚記念(芝2200m)

1番人気を天皇賞を勝ったテンポイントに譲るも、
レースは休養明けを感じさせない逃げを見せ、
直線に入ってもその脚色を衰えず勝利する。


続く中京で行われたGⅢ高松宮杯(芝2000m)
東京で行われたオープン戦(芝1600m)
を勝利し、秋の大目標
東京で行われたGⅠ天皇賞・秋(芝3200m)に出走する。

テンポイントが既に天皇賞を勝っており不在。
相手はグリーングラスただ一頭であり、
ファンは1番人気にトウショウボーイ
2番人気にグリーングラスを支持する。

レースはトウショウボーイとグリーングラスの激しい先頭争いで始まる。
他の馬は全く関係ないぐらいのマッチレースを行い、
直線に入って二頭とも失速。

スタミナ豊富なグリーングラスは5着に留まるものの、
トウショウボーイは7着と初めて大敗してしまう。


そして引退レースとなる中山で行われたGⅠ
有馬記念(芝2500m)

後に史上最高の名レースと言われるこのレースで
トウショウボーイはテンポイントに競り負け2着に終わる。



引退したトウショウボーイは種牡馬となる。
数多くのGⅠ馬を送り出したトウショウボーイであるが、
トウショウボーイの種牡馬時代を語るなら
この馬を語らなくてはいけないだろう。


シービークイン


シービーとは千明牧場の頭文字(Chigira Bokujou)を取っており、
この馬は千明牧場の女王様になって欲しいと願って付けられた名前である。

デビューはトウショウボーイと同じレース。
結果は10着と大敗したものの、後に勝ち上がる。
GⅠこそ勝てなかったものの、

GⅠオークス3着
GⅡ四歳牝馬特別1着
GⅡ毎日王冠1着
GⅡ京王杯スプリングカップ1着

など、そこそこの成績を残して引退。
繁殖に入る。

デビュー戦の時にシービークインの応援に東京競馬場に来ていた
オーナーの千明大作はトウショウボーイの走りに戦慄をおぼえ、
「この馬は将来立派な種牡馬になる。
その時クイーンと種付けをさせたい」
と思っていた。

しかし、いざ種付けをしようとしたが千明牧場は
トウショウボーイと種付けをする条件を満たしていなかった。

当時、トウショウボーイと種付けをできたのは
日高軽種馬会の会員に限定されていた。

群馬にある千明牧場にとってこの配合は絶望的な状況であった。

そして一方トウショウボーイは種牡馬としてはイマイチな存在。
腰の甘さが遺伝してしまったり、受胎率も悪かったのだ。
そんなトウショウボーイは
テスコボーイの代用ぐらいにしか評価されていなかった。

そんな時、トウショウボーイの種馬場場長に届いた
トウショウボーイとの種付け希望肌馬リストの中に
シービークインの名前があった。

スピードのあるシービークインとの配合は
種牡馬トウショウボーイの価値を上げられる逸品である。
しかし、規定により種付けができない。。

そこで、種馬場場長は極秘に千明牧場と交渉し、
種付けの実行をする。





翌年シービークインは黒鹿毛の元気な男の子を出産する。
その子馬にオーナーは
将来千明牧場を背負って立つ馬になって欲しい
と願って名前をつける。

その子馬は後に皐月賞・日本ダービー・菊花賞を勝ち、
シンザン以来3頭目の三冠馬となった
ミスターシービー
その名馬である。


その後シービークインは種付けはするものの、
不受胎・流産を繰り返し、
結局生涯で残した子供はこのミスターシービー一頭だけで終わる。

トウショウボーイとの運命的な出会いと再会。
そして唯一残したたった一つの結晶。
故に、後から
トウショウボーイにだけ操をたてた馬
と呼ばれる事となる。


一方トウショウボーイはミスターシービーの登場により
評価が上がる。そして

ダイイチルビー
アラホウトク
シスタートウショウ


など、数多くのスピードのあるGⅠ馬を誕生させる事となる。
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無題
闘将ボーイなら全巻持ってるよん♪ププッ

華麗なる一族ですな。。うん。。
ホセ・マゲンタ 2008/03/19(Wed)19:59:38 編集
ホセ・マゲンタさん こんにちゎ♪
その通り。。
華麗なる一族でありやす。。
最近はあんま聞かないけどなw
【2008/03/20 13:15】
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